トップメッセージ

クルマが好き。その一言でしたね。クルマと常に係わっていたい。その一念で、トヨタディーラーにメカニックとして入社しました。1991年のことでした。

入社当時は、もちろん経験はありませんでしたし、整備に関する資格も持っておりませんでした。生来の負けず嫌いも手伝って、同期入社の仲間達には負けられないと、そりゃあ必死に勉強しましたし、率先して作業にあたりました。出社し、整備に没頭し、定時になると一目散に帰宅して勉強、そんな毎日でした。そうした姿勢を評価していただいたのでしょうか、先輩方からも認められ、徐々に任される仕事の領域が拡大していき、それがやりがいにつながり、また評価していただく。仕事は大変でしたが、充実した日々をおくれていました。

ところが …。

いいことばかりではありませんでした。母が倒れたのです。面倒を見れるのは私一人だったので、最初は寝ずに仕事に行っていたんですが、それも限界になって。結局、退職届を出しました。これも運命とあきらめ。

介護のかいもあり、そろそろ社会復帰をと考えておりましたが、やはり頭の中は好きなクルマのことばかり。結局、資格取得のために専門学校に進学したんです。そこで2級整備士資格を取得しました。

代表取締役社長 三浦孝之学校では将来のこともいろいろと考えました。どんなクルマでもどんな状態でもあそこに持っていけば新品のようにクルマが生まれ変わる。どんなメーカーでも、そうだ、整備のデパートを作ろう!インターチェンジのすぐそばに広大な敷地を用意して。思いはどんどん膨らんでいきました。

そうした“夢”も影響してか、一つのメーカーにこだわらずに広い範囲でクルマと接しようと思い、民間の整備工場に専門学校卒業後は勤めたのです。

次のステップアップの時期は整備の請負業をしている会社に入った2001年10月。そこでアウディと出合います。その頃は、仕事の覚えたての時期とは違い、整備のプロとしての自覚も当然ありましたし、アウディで働く同僚や営業の方々の目も当然出来て当たり前と接してくる。毎日が緊張の連続でしたが、一つこなし、二つこなしと経るうちに、将来の夢に一歩づつ近付いていくような気がしてきました。

ある日ひらめきました。夢に近づくため、この請負業から始めよう、そして独立しよう。決めるまでは慎重ですが、決めたらすぐ行動するのが長所なのか短所なのか分かりませんが、2004年2月に有限会社フェニックスオートを設立。現在に至っております。

会社を発展させていくためには、お取引先からの信頼を得る事が大事、その信頼を得るために、確実な作業を心がけるのはもちろんのこと、お客様(ディーラー様)のニーズに応え、お客様の発展にいかに貢献できるかを考え、日々取り組んでおります。

今後もこうした姿勢を守り、夢に近づきたい。そう願ってやみません。

2011年5月10日
有限会社フェニックスオート
代表取締役社長 三浦孝之